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人口、産業が高度に集中する近畿圏は、首都圏とともに航空輸送需要が大きく、航空輸送活動は、大阪国際空港から各地へ通ずる航空路線網によって営まれてきたが、大阪国際空港は大阪市の北側平野部にあり、周辺は市街化が進んだ地域であるため、1964年6月にジェット機の乗り入れが開始されると、航空機騒音問題が発生した。このため、運輸省や空港周辺の地方公共団体などでは、大阪国際空港に代わる空港の必要性が本格的に認識されるようになった。
1960年代後半来の兵庫県・神戸市を中心とする誘致運動と大阪国際空港周辺からの代替空港建設の要望にこたえ、運輸省は1968年度から近畿圏での新空港調査に着手した。運輸省は1968年度以来、騒音公害を市街地等に及ぼさないことを第1の条件として新空港調査を実施し、工費は高くつくが海上空港が最も望ましいとして、建設場所の候補地として、泉州沖、神戸沖、播磨灘、淡路島の4候補地を選定した上、1971年10月、航空審議会に対し「関西国際空港の規模及び位置」について諮問した。
航空審議会においては、これまでの空港計画は滑走路計画にすぎないとの地元の批判にこたえるため、構想の段階から周辺地域社会との調和を図ることが大切であるとの認識のもと、利用の便利さ、管制・運搬、環境条件等の観点から候補地の比較検討を行った。
航空審議会は2年10箇月にわたる検討の結果、1974年8月に泉州沖が最適地である旨答申した。


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